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エアボーン社は1983年に設立、以来オーストラリアはニューカッスル近郊のレッドヘッドにて操業を続け、30名を直接雇用し、30カ国以上へ輸出しています。
マイクロライト機開発のワールドリーダーであるエアボーン社の機体は、現在世界最高レベルの認証であるオーストラリア民間航空およびイギリス民間航空規格の認証を受けており、中国、アメリカのほか、規制の厳しいイギリス、ドイツ、イスラエルといった市場への参入も許されています。
エアボーンのマイクロライト機はまた、考古学や保護活動のいくつかの国際機関でも使用されていて、インドネシアやアフリカでは象やオランウータンといった動物の観察・保護に従事しています。
農作物の種まきシステムもエアボーンのマイクロライト機では開発されていて、中国やいくつかのアフリカ諸国における低コストな農作物の空中散布オプションとなっています。
エアボーン社はまた、初級・中級・上級のハンググライダーの完璧なラインナップを世界市場において提供しています。
そしてエアボーン社はオーストラリア民間航空安全局(CASA)の生産資格を受けており、その生産システムは定期的にCASAの検査を受けています。
エアボーン社は1983年、情熱的な水上スキーヤーでハンググライダーパイロットのアンとケビンのダンカン夫妻の息子達、シェーン、リッキー、ラッセルのダンカン兄弟によって会社としての操業が始まりました。彼らがまだ12歳くらいだった水上スキートーイングカイトの黎明期、アンとケビンは息子達にまず水上スキーを、そしてハンググライダーをを教えていきます。ケビンは飛行競技会にも参戦、当時は沈下率1000フィート/分(5m/s)のトーイングカイトで着水するまでに何回360度旋回が出来るかを競っていました。
機体の設計は急速に発達していきますが、脚で容易に離陸できるハンググライダーが開発されるよりもずっと前から、この少年達はすぐに海辺の砂丘や断崖から離陸するようになります。何時間も滞空するソアリングフライトが世界中で行なわれるようになり、それが競技会にも取り入れられるようになりました。
ダンカン兄弟は海外のハンググライディング競技会に参戦し続け、そのための収入の補助としてエアボーンウインドスポーツ株式会社の名の下にハンググライダー講習を始めました。もう1人の共同経営者で友人のクリス・ブラントンも会社の一員でした。
1980年代初頭、エアボーン社はイギリスからマイクロライト機(トライク)を1機、輸入。これはハンググライダーを離陸させるのが目的でしたが、工学の素養のあったダンカン兄弟は、すぐに乗客を乗せ、練習にも使える専用の2人乗りのマイクロライト機を開発しました。
1987年、ウルトラライト機の事故に対する政府機関の調査の結果、ウルトラライト機製造業者の開発・販売について規制が生じました。エアボーン社ではすでに荷重試験を行なっており、構造破壊による問題は発生していないことが、調査の結果明らかになりましたが、規則が変わり、製造業者は認証を受けなければいけなくなったのです。