WillsWing
 

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世界中に広がるウィルスウイングパイロットのファミリーへようこそ。ハンググライダーでも、パラグライダーでも、アクセサリーアイテム、あるいはその他どんな製品あるいはサービスでも、ウイルスウイングから購入していただくと言うことは、世界で最も経験豊かで、最もプロフェッショナルなフットランチソアリング機材のメーカーおよびディストリビューターとつながりを持ったと言うことです。我々はパイロットおよび航空エンスージアストの会社であり、その目標は、1973年から世界中のパイロットに対して行なってきたように、現在、そして未来にわたっても、可能な限り最高の品質の製品、サービス、技術サポートを、提供することです。

 

 ハンググライダーの歴史

鳥のように空を飛ぶというのは、人類の最も古く最も切なる夢のひとつです。ジェット旅客機での旅が当たり前になった今日ですが、ほとんどの人は鳥のように空を飛ぶという本来の夢をかなえられないままでいます。しかしごく少ないながらもハンググライダーで飛ぶ勇気ある男女と言う例外があります。

航空の歴史の中では新参者と思われがちなハンググライダーですが、実は人間が飛ぶ形式としては最古のもののひとつです。鳥を真似た飛行の最初の成功例は、軽く作られたグライダーを持って斜面を駆け下って離陸し、滑空すると言うものでした。しかし、ライト兄弟が飛行機を発明してからは、軽いグライダーで鳥のように飛ぶ事への関心は薄れてしまいました。

やがて1960年代に入ると、多くの人がハンググライダーの復活に活躍します。中でも「ロガロ翼」と今日呼ばれている新しいタイプのフレキシブルウイングの出現は大きなはずみとなりました。これはアメリカの技術者フランシス・ロガロがシンプルなフレキシブルウイングのデザインとして1948年に特許を取得したもので、ロガロが勤務したNASAではさらに初期の宇宙開発計画で利用すべく開発を続け、NASAの硬い骨組みを使って翼を支えるデザインは、今度は脚で離着陸するハンググライダーへの応用をバリー・パーマーやリチャード・ミラーと言った人達に思いつかせました。さらに、オーストラリアのジョン・ディッケンソンが水上スキーカイトに応用したのが最も成功した例となり、1960年代初頭に初めて飛んだその機体はのちに「スタンダードロガロ」と呼ばれる翼の基本的構成要素を全て備えていました。ディッケンソンのデザインはシンプルで製作が容易でフライトの習得も簡単でした。ディッケンソンのデザインが脚での離陸に適するような大きさにまでスケールアップされるようになると、ゆっくりと飛ぶ能力や穏やかな着陸特性とあいまってそのシンプルなデザインや構造は、「新しい」スポーツとしてハンググライダーが爆発的な人気を博すこととなったのです。何社ものメーカーが製作する翼はいろいろな工夫が凝らされるようになり、ここに歴史上初めてシンプルで鳥のように自由な飛行が、それを望むほとんどの人々にとって可能となりました。

そしてこの発展期の一番初めの1973年、ボブとクリスの2人のウイルス兄弟が最初のハンググライダー製造会社のひとつ、ウイルスウイング社を設立したのです。

 

 ウイルスウイング社の歴史

ボブとクリスは、当初からフライトとデザイン両面に類まれな才能を発揮しました。クリスは1973年の第1回全米選手権に優勝、2位にボブが、そして翌年は順位を入れ替えてボブが優勝、クリスが2位になっています。その後もウイルスウイングパイロットの競技会における活躍は今日まで続き、1973年から2000年までの間でも全米選手権の各クラスの公式タイトル51のうち23タイトルで優勝し、特に1992年以降は2000年に至るまで全て全米選手権クラス1優勝を成し遂げています。

最初は小さな丘の斜面に沿って性能の低いカイトで単に滑空して降りるだけだったハンググライダーですが、その後28年の間の進化によって、鷹や鷲と一緒に何時間もソアリングし、サーマル上昇気流に乗って何千フィートもの高度を獲得し、何百マイルもの距離にわたってクロスカントリー飛行を行なうまでになりました。1991年、ウイルスウイング機は史上初めて1回のフライトで300マイル以上遠くまで飛びました。また、1984年、ウイルスウイング社は全米で最大のハンググライダーメーカーとなってのちその地位は続き、今日では世界最大のハンググライダーメーカーとなっています。

1980年代、脚で離陸し滑空・ソアリングする新しい形であるパラグライダーがヨーロッパで発達し、程なくアメリカにも移入して来ました。パラグライダーでは、アルミパイプとダクロンセールの翼の代わりに専用に設計されたラムエアーパラシュートのキャノピーを使いますが、ハンググライダーとほとんど同じようにテイクオフし、滑空し、ソアリングします。1991年、ウイルスウイング社はパラグライダーにも参画し、初めての大規模なパラグライダーインストラクターのための研修認定セミナーのひとつを開催してアメリカにおけるその発展に貢献しました。当時マイク・マイヤーが執筆した『パイロット・トレーニングマニュアル』は今でもパラグライダー習得の実践的で秀逸なバイブルと呼べるものです。その後、ウイルスウイング社では、スイング社とエアーウエーブ社の2つのトップブランドのパラグライダーのラインナップを北アメリカ大陸と南アメリカ大陸において、2007年4月までの間、供給してきました。

 

 未来

スポーツとしてのハンググライダーとパラグライダーの大きな課題は、今後も安全性と新人育成にあると、ウイルスウイング社では考えています。過去32年間のハンググライダー機材とインストラクションメソッドの進化には、ともに目を見張るほどの素晴らしいものが沢山ありますが、多くのやらなければならない仕事が残っています。飛び方について人間は、何百万年も練習している鳥達にまだまだかないません。ウイルスウイング社にとって、少しでもそのギャップを縮めていくことが大きな使命であり、そのためにも、鳥のように空を飛びたいと願う人が安全で確実に育っていけるように努力し続けていかなければならないと考えています。

 

TEAM

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 スティーブのもとでチームパイロット達はこの10年間、ウイルスウイングの製品開発にとって重要な協力者です。
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スティーブン・ピアソンは、1973年に自作ハンググライダーで初めて飛び、1977年、ウイルスウイング社の経営陣に加わり、製品設計・技術開発を担当しています。競技には多くの時間を割きませんが、コントロールに関する卓越した技術はトップパイロット達からも賞賛されています。ハンググライダーに懸ける情熱をその妻リサ、娘のケルシーと伴にしています。

 

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ダスティン・マーチンは、14歳の時にセールプレーンで始め、16歳でハンググライダーへ移行しました。数カ月おきにコロンビアへのハンググライダーツアー引率を行ったりエクアドルやブラジルの大会にもよく出かけています。2008年、世界記録に肉薄する歴代3位の410マイル(660km)を飛び、その4年後、2012年7月3日、再びテキサス州ザパタの地から今度は現在の世界距離記録となる475マイル(764km)の記録を打ち立てました。

 

1500x1000_Zac Zac “Zippy” Majors

「ジッピー」ザック・メジャーズは現アメリカ選手権者です。この「山岳飛行のスペシャリスト」は17年間の飛行歴においてユタ州で飛び回り、ロッキー山脈、ワサッチ山系、シエラ山脈でのフライトも有名です。彼は14年にわたってハンググライダースクールを開催、運営してもいます。近年の大会における活躍は有名で、2015年のフォーブスと2014年のビッグスプリングでの優勝、2014プレワールド2位の実績によって、2015年3月時点でCIVL世界ランキング2位となっています。

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ジェフ・オブライエンは、1998年にハンググライダーと出会ったことで人生が変わりました。ユタ州のポイントオブマウンテンとその周辺のエリアで腕を磨き、2005年以降は競技会でも活躍し、世界5大陸で飛んでいます。彼は今、コロラドで妻子と暮らしながら活躍し、「ハンググライディングこそ私が経験した中で最も価値ある「リクレーショナル」活動です。まさにマジック!」との考えを変えていません。

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ジェフ・シャピロは万能の天才そのもので、常に最高の作品を作り上げています。モンタナ州でハングライダースクールを行うと同時に鷹匠として猛禽類の訓練も行っています。競技会での成長も目覚しい一方、工業デザイナーとしての正規教育も受けており、特にウイルスウイング社の競技用ハーネス「コバート」開発では力を貸してくれました。最も好きなハングライダー以外にも、ベースジャンプによるウイングスーツでは欧米各地で活躍。困難な岩場や氷壁などの初登攀をこなすクライマーとしても各メディアで有名。

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オーストリア人ウォルフガング・ジースは、子供の時から飛んでいる2世代目パイロットです。ヴォルフィーは優秀な競技パイロットでオーストリア代表チームメンバーでもありますが、むしろその機載カメラによる素晴らしい画像・映像によって広く知られています。ウォルフィーはまたウイルスウイング社のオーストリア代理店でもあり、最近、ハンググライディングの認知度を上げるプロモーション計画を立ち上げたところです。
https://www.facebook.com/rhythmofflight

 

 

MIke Mier  SETPからの表彰

Meier-SETP-Awardマイク・マイヤーがSETP(実験テストパイロット協会)のジャック・ノースロップ賞を受賞

先ほど開催された第45回実験テストパイロット協会西海岸年次シンポジウムにおいて、このシンポジウムで発表された中で最も優れた技術論文に与えられるジャック・ノースロップ賞が、マイク・マイヤーの論文「私の得た教訓とマーフィーの必然法則」に授与されました。この論文は、1998年発行の「ハンググライディング&パラグライディング誌」に掲載されたマイク・マイヤーの記事『Why Can’t We Get A Handle On This Safety Thing?』を発展させたものです。

SETP(society of Experimental Test Pilot) とは、「学んだ教え」を分かち合うことで実験飛行試験の安全性と効果を高める任務についているテストパイロットの団体です。
航空宇宙の分野において認めらた存在として国際的に知られるまでに成長した団体で、
アメリカ国内に7つの地区「セクション」と海外にカナダセクション、ヨーロッパセクションがあります。今年、4つの地区セクションと2つの海外セクションでシンポジウムが開催され、さらに毎年の全国シンポジウムも開催されました。これらのシンポジウムにおいては、出席者から自分たちが学んだ教えを分かち合うための論文が発表されます。そして本年の西海岸地区シンポジウムにおいて、マイク・マイヤーの論文がこの賞を授与されました。

Why Can’t We Get A Handle On This Safety Thing?
This article appeared in the September 1998 issue of Hang Gliding magazine.

 

「なぜ安全なものを正しく扱えないのか」「USHGA誌」1998年9月号掲載(要約)

多くのハンググライダーパイロットは、“一般社会はハンググライダーの事を不当に危険なスポーツと誤解している”と考えている。パイロット達はおそらくこう言うだろう、かつて、ハンググライダーが始まったばかりの頃であれば、確かにハンググライダーは危険でパイロットのやっていることは安全とは程遠いものだった、と。そしてこう言うだろう、しかしながら近年では機材や練習方法、パイロットの熟練レベルなど全てが飛躍的に向上してきた。

しかし果たして本当にそれほど安全なのだろうか? 年間あたりの死亡者数が創成期より大きく減少しているとは言え、まだ1年間でパイロット(練習生を含まない)1000人当たり1名の死亡者という事故率は、近年ではあまり変わっていないと考えられる。

では、なぜハンググライダーの安全性はあまり向上していないのか? 私(マイク)は、3年前に自分に起こった事故を振り返る中で、その答えへのヒントに行き当たることができた。

続きを読む>>>「なぜ安全なものを正しく扱えないのか」by マイク・マイヤー

「補足」by Tsuneyuiki Horota

この論文は1998年にハンググライダーの安全性について書かれたものですが、その本質は完全に今日のパラグライダーにも共通するものであり、これだけの深い見解は他に記述を見た事がありません。言葉でいえば常識の「運用限界」や「インシデント」の概念も更に良く理解出来る。昔から言われ続けながら実行の難しい「飛ばない勇気」とうい常套句もより鮮明となる。
今から17年も前に書かれていた事を考えると自分の不勉強さを感じざるをえませんが、遅ればせながら此処に日本語要約を紹介いたします。この補足と要約改訂については、筆者のマイク・マイヤーから更に必要な情報とアドバイスを頂きました。

最初に補足しておきたいのは事故の統計についてです。1998年当時のアメリカのハングライダー死亡事故が1000人当たり1名という記述がありますが、マイクに確認したところ1000人の内訳は練習生を含まないアクティーブなパイロット(自分自身で決定判断出来る)を意味します。98年時点でマイクが憂いているのは86年以降約10年間の事故率に改善が見られないという事です。更にマイクからもらった創成期以降現在までの統計グラフを見るとその前後を含めた現在までの推移が把握出来ます。1974年には4000人のメンバーに対し40人の死亡事故が発生しています。つまり1000人当たりでいえば10人、100 人に1人です。(日本での統計数字は知り得ませんが、自分の記憶では年間5人ぐらいの重大事故があり、ほとんどは知り合いだったので事故率では同様に大きい状況であったと思います。)
その1975年以降の事故率は右肩下がりに減少し86年に至っています。その間の改善が、機材の進歩やパイロット技術の確立による要素が大きいのだと言えるでしょう。そしてその後の10年間に改善のない理由についての言及がこの論文に見られるわけです。そしてこの1998年以降ですが、年度による格差は有りますが確実な改善傾向が見られます。特に2000年から2007年では1000 人当たり0から0.4(事故実数では0から2人)という数字が見られます。残念ながら悪い年もあり特に2015年は1.1ですが、その辺はまだ分析が必要なところでしょう。気になるメンバー数(アクティーブパイロット)ですが、1993年のピーク8000人から現在の3600人まで右肩下がりです。しかしこれまでの記述で重要なのはあくまで事故率です。

さてここで日本の状況についても見てみたいと思います。まずJHF(日本ハング・パラグライダー連盟)の登録会員数は1994年のピークの約31000人から2014年の6300人までの右肩下がりに激減しています。これはパラグライダーとハンググライダーを合わせ、また練習生からを含めた数字です。大雑把に練習生を除くアクティーブパイロットが半数として見るとアメリカの現在のハングライダー人口と大差ないようです。
そして重要な死亡事故率ですが、2002年で11人(パラグライダー5、モーターパラグライダー3、ハンググライダー2、モーターハンググライダー1)。2003年から2014年は毎年7−8件の重大事故が発生しています。人口は右肩下がりに激減しながら事故数は変わっていないのです。
2014年の死亡事故は5件(パラグライダー3、ハンググライダー2)、アクティーブパイロットを半数強の3500として見積もると、1000人当たりの死亡事故は約1.4。パラグライダー人口が80%と見積もると1000人当たりの死亡事故は、パラグライダーで約1.25、ハンググライダーで2.8という計算になります。大雑把な数字ですが、どうお考えでしょう。ここ数年のハンググライダーもパラグライダーもその事故率は、マイクがこの論文で憂いた1998年当時のアメリカにおけるハンググライダー以上に深刻という事だけは断言出来るのではないでしょうか。
もちろん安全なエリアやスクールは多くあり、その名誉のために付け加えると、この深刻な数字は、一部のあるいは特定の状況で煩雑な事故が平均値を悪くするという事も付け加えておきます。

次に補足しておきたいのは、いまだに重要なもう一つの要素“基礎技術の重要性”についてです。マイクの記述の中にある“これだけパイロットの技術や経験が高くなっているのに、安全性が高くなったと言い切れないのはなぜか? それは、安全性における最も重要な要素は、パイロットの行う決断にあるからだ。”というくだりが誤解されないためです。最後まで熟読していただければ解る事ですが、この2つの要素の関連性です。パイロット技術と状況(エリア特性と風などの難易度)において100%の判断があれば安全というのは正しい考えですが、もし基礎技術が欠如していたら「安全のための唯一の方法は飛ばない事」になるでしょう。そのような状況ではでは、実際には失敗覚悟で飛んでしまうのが当たり前な事になるのです。ここまで来ると練習ステップにも触れなければなりません。言葉でいえば当たり前の“ステップbyステップ”ですが、初日の練習生からパイロットにいたるまで、失敗の積み重ねで上達していくのは間違った古い考えでしょう。技能を超えたフライトは全てリスクを伴い、マイクのいう100%の判断を絵空事にするものです。

日本は現状を認識して、今はパラグライダーもハンググライダーも安全性向上が先であり、そのうえでの普及を目指す時なのです。少し脱線しますが、ヨーロッパのパラグライダーの現状は安全性の向上に伴い人口の増加は目を見張るものがあります。これはマイクも最後に言及している“一般社会からの健全なスポーツとしての認知”と通じるものではないででしょうか。
最後に、この論文の要約が統括組織の全ての理事・委員・関係者に現状把握の機会となり、全てのインストラクターには安全運営の共通認識をもたらす一助となれば幸いです。

 

ハングライダーの運用限界とエアロバティック

皆さん、ご存知の通り、ウイルスウイング機のキールには以下のようなプラカードが貼られています。
848_Aero_Placard
マイク・マイヤーはHGMA認定審査委員会メンバーとして1980年から330機種の認定にかかわり、自身も97機種のウイルスウイング機の認定を取得しています。彼はまたアメリカにおける体重移動型動力機の設計基準の制定を技術面で主導し、FAA(連邦航空局)の認める耐空性基準を策定しています。

プラカードには機体の運用限界が示されていて、ウイルスウイング機の取扱説明書ではさらに詳しく運用限界についおて説明があります。これらはほとんどすべての航空機に共通したことです。

では、運用限界とは何でしょうか?
これはメーカーの責任逃れ目的などではありません。運用限界の個々の項目は、科学的な設計原理と工学技術上の基礎に基づいているのです。そもそも不合理に低い数値を設定しても責任逃れに役立ちませんし、これは工業基準として認定と試験について明確に定義され、義務化されたものなのです。

1970年代初めにハンググライダーが飛び始めたころはまだ、「落ちても気にならない対地高度で飛ぶ」ものでしたが、すぐにそれよりも高く飛ぶようになると事故が増え、一方、1976年ごろには基本的に現在のハンググライダーと同じフライトを行うようになり、耐空性試験が必要となってきました。下記は1976年にウイルスウイング社のSSTに強風の砂丘で5人が乗った合理的な試験の様子ですが、1977年までにはようやくHGMAと、その耐空性試験と認定の制度が確立しました。

409_Aero_BobandChris

 

HGMA耐空性基準プログラム

HGMA(ハンググライダー製造者協会)は1977年に補足され、以来一連の耐空性試験基準を開発し実践してきました。

では、これらの基準はハンググライダーの構造と安定性について何を述べていて、また、ハンググライダーの運用限界はこれらの基準で求められる試験項目とどう関係しているのでしょうか?

先にも述べたとおり、運用限界とは、基本的にパイロットがその航空機で何をしたいのか、で決まってきます。HGMA耐空性基準が初めて開発されたとき、我々が求めていたのは、この航空機が操縦不能にも構造破壊にも陥らずに、離陸し、滑空し、運動し、ソアリングし、着陸することです。HGMAが創設された1977年までにハンググライダーの構造破壊や操縦不能の事故が続いていたので、耐空性基準の目標の一つは、この耐空性基準に合致する機体であれば操縦不能や構造破壊に陥るのが十分に低い可能性に留まるような運用上の数値の範囲や限界を定めることでした。

そこでHGMA認定基準で行ったのは、認証を受けた航空機なら全て備わっているパイロット運用取扱説明書に記載されているような、同一の基本運用限界を、各メーカーの各モデルにおいて具体的に規定することでした。

・許容されるパイロット重量の範囲
・許容される最大運動速度(Va ~急激な操作が許される最大の速度)
・許容される最大速度(Vne ~超過禁止速度)
・許される運動の範囲 / 要求によってはエアロバティックも含む

メーカーの計画する運用限界によって、認定取得のためにメーカーが実施し文書提出しなければならない試験内容と用いられる試験の数値が、HGMA耐空性基準で規定されます。

また、HGMA基準では最小運用限界のデフォルト値を決めています。

・運動速度46mph(74km/h)
・VNE(超過禁止速度)53mph(85km/h)
・水平に対して最大ピッチ姿勢がノーズアップ・ノーズダウンとも最大30度
・最大バンク角が60度

これらの最小要求値は、基本的に低速でソアリングしグライディングする、軽量でパイロットの脚で離着陸できる航空機としてのハンググライダーの目的使用に、かなっていると考えられるものです。(ある種の練習用あるいは初級用の機体で、その設計上、保持できる最大速度が限られているものに対しては、HGMA基準で少し低いVaとVneが許されています。)

それでは、これらの運用限界からどのようにして必要な耐空性試験で求められる試験値が導き出されるのでしょうか?これを理解するためにまず、空気力学の基本的な考えをいくつかおさらいしてみましょう。

409_Aero_TestGraph

 

 

揚力と迎え角

翼は、その迎え角の変化にほぼ直線的に比例して揚力を発生させます。下記の画像はT2CのHGMA正荷重試験で得られた試験データです。翼が失速するまでの間、迎え角に対する揚力の傾斜グラフは一定でほぼ直線です。

 

 

 

揚力と速度409_Aero_Loads

迎え角が一定であれば、空気力(揚力と抗力)は対気速度の2乗にほぼ比例します。もし対気速度が2倍になれば、空気力は4倍になります。対気速度が3倍になれば、空気力は9倍です。

揚力と迎え角、そして揚力と速度の関係から、通常の1Gの飛行での速度と迎え角の関係が導かれます。その翼型が失速しないで飛べる最大の迎え角で、飛行可能な最小速度が得られます。そこから迎え角を減らしていくと、重力とバランスできる1G分の揚力が発生するところまで速度が増加していきます。

運動速度は、例えば急激なピッチアップなど急激で最大限の操作が許される速度と定義されています。高速からの急激なピッチアップは(失速寸前の)最大迎え角とピッチアップ開始時の高速による最大の揚力を生み出します。これは通常の荷重状態よりも高い荷重となり、もし通常の失速速度の2倍の速度から急激なピッチアップで最大揚力の迎え角に達する操作を行たっとすると4倍の揚力が発生する可能性がある訳です。機体構造へ大きな負担がかかります。

ところで実際には、このようなギリギリではなく、設計では常に安全率が加えられています。飛行機ではこの安全率は1.5です。失速速度の2倍の運動速度を持つ飛行機は、6Gでも破壊しない機体構造が求められるということになります。

HGMA基準ではそれよりも少し高い2.0の安全率を用いています。またHGMAではG荷重を用いた試験は行わず、最大揚力迎え角と高速度を実際に組み合わせた車載試験を行っています。

848_Aero_T2_Load1
そして、通常のデフォルトのHGMA運動速度である46mph(74km/h)について言うと、これに必要な正荷重試験は、最大揚力迎え角で65mph(105km/h)となります。46に安全率2.0の平方根の√2を掛けたのがほぼ65だからです。(空気力は対気速度の2乗に比例して増大します。)
標準的な航空機の通例に倣い、負荷重試験については正荷重の50%の荷重が適用されていて、これはマイナス30度の迎え角で46mphの試験速度となります。↓

848_Aero_T2_Load2

また、HGMAではマイナス150度の荷重試験を行っています。試験速度は32mph(51km/h)が求められています。この試験の目的は、低速飛行時に乱気流で引き起こされる前方タンブルの半分くらいの行程で発生すると思われる荷重状態および迎え角における機体構造を試験することにあります。(これは、乱気流によって引き起こされるタンブルは、そもそも低速での失速によって引き起こされる事象だと考えられるからで、32mph(51km/h)と言う試験速度はタンブルが発生すると思われる23mph(37km/h)に安全率2.0をかけた荷重状態に相当します。)↓

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なぜ安全率を2.0とするか?

なぜHGMAでは、通常の航空機のように1.5ではなく安全率を2としているのでしょうか?これは単なる過剰行為なのでしょうか?これは、ハンググライダーにとって安全率2.0がより適切と思われる理由がたくさんあるからです。

1.メンテナンスの問題:FAA(アメリカ連邦航空局)認定の航空機と異なり、ハンググライダーには定期的な整備や検査が求められておらず、さらに明らかにメンテナンス不足による事故や構造破壊の事例が過去に記録されているからです。

2.運用者の問題:FAA(アメリカ連邦航空局)認定のパイロットと異なり、ハンググライダーのパイロットはハンググライダーに関連するFAR(連邦航空規則)103条にあるとおり「いかなる航空知識、年齢あるいは経験の要件も求められない…」となっており、その結果、規定された手順や限界に対しての理解や順守を、FAA認定の航空従事者と同程度に行えるという保証がありません。

3.突風倍数:ハンググライダーは低速で運用されるため、より高速で飛ぶ他の航空機に比べると、対気速度と迎え角に対する突風の影響が大きく、引き起こされる荷重も極めて大きくなります。

4.動荷重効果:これは、急激なピッチアップといった急速な迎え角の増加のさいに起こる空気力学的現象で、翼から気流が剥離するのが遅れるために迎え角を徐々に増加させていった場合よりも翼の最大揚力係数がより大きくなることが実際にあります。ハンググライダーでもこの現象は起こっていて、さらにそこから起きる事例として、このような急激な荷重の発生によって機体のノーズアップのピッチングモーメントがパイロットのコントロールを超えてしまいピッチアップの動きが止められなくなってしまうことがあります。こうしてパイロットが意図したであろうよりもずっと急速で激しいピッチアップが生じて、機体構造に極めて高い荷重をかけてしまうことになるのです。

現代の高性能フレキシブル翼ハンググライダーにおいて、機体の正荷重構造強度を超過するほどの運動を行ってしまったために構造破壊に至る可能性は極めて高く、そのような例は何度も発生しています。

 

なぜピッチ及びバンク角の制限があるのか?

270_Aero_Aaronほとんど全てのハンググライダーでは、パイロットがスイングラインやハーネスメインラインといった柔軟な索で翼の下に吊り下げられていて、この索が正荷重で張られていることで翼を操縦することが出来ます。高いバンク角や激しいノーズアップの姿勢をとるような運動では、その運動が完了する前に速度を使い切ってしまってパイロットがハーネスの中で宙に浮き、危険性をはらむ操縦不能状態に陥る可能性がとても高くなります。その結果、ナイフエッジと呼ばれる強いサイドスリップからローリングで機体が背面状態に陥ったり、テールスライドから前方タンブルに入ったり、あるいは単に機体がひっくり返った姿勢のときに止まってしまってパイロットが機体の上へ落ちてしまうなどの可能性があります。エアロバティックの運動では、このような事故が全て起こっており、負荷重での構造破壊や回復不能な操縦不能状態に至っています。

 

エアロバティックー運用限界との関係

高速での運動においては、機体構造に極めて高い正荷重をかける可能性が発生します。
↓下の一連の写真は高速ピッチアップ運動で正荷重による構造破壊を示しています。

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↓下記は、高速ピッチアップ運動での正荷重による構造破壊のビデオです。

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ループ頂点で速度を失う失敗へのマージンは小さく、操縦不能に陥る可能性が高く負荷重への対応にも考慮が必要です。

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↑上の一連の画像では宙返りの最中に速度が無くなり、サイドスリップから背面状態に陥って構造破壊しています。
↓下記は、宙返りで操縦不能になった2つの例のビデオへのリンク先です。

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エアロバティックの運動中に飛行中の構造破壊が発生する例は、どれも何の不思議もないものです。ハンググライダーを製造し、認定試験を行ったことがある者なら皆、車両試験のさいに何回も似たような構造破壊を体験しています。メーカーは全ての機体をテストで壊しているわけではありませんが、構造強度の限界点を十分に見極められるまで、かなりの数の機体を壊しています。

 

エアロバティック認定機?

HGMA基準には当初からエアロバティック機の認定も用意されています。(HGMA認定基準の3.110条項AEROBATIC MANEUVERS)しかし345機種を認定してきたHGMAの歴史の中で、エアロバティックの運動を1つでも認められた機体はありません。

熟練したエアロバティックパイロットであれば80mph(129km/h)以下の速度でエアロバティックが行えますが、それでも80mphに対応するHGMA基準での車載試験速度は、98mph(158km/h)になります。通常の試験速度65mph(105km/h)です。

先に掲げていたT2Cの通常のHGMA認定のための車載試験の画像を見て、この状態からさらにこの2倍以上の荷重(98>65 x√2≒92)を機体にかかることを想像してみてください。また、現行の試験車両が最大揚力迎え角のハンググライダーが出す大きな抵抗に対抗して出せる最大速度は約80mph(129km/h)です。以上のことからHGMA認定のエアロバティック機を製作するのは、機体設計の面でも試験機材の面でも従来に無いかなりの努力が必要になるということが容易にわかります。

クロスカントリーソアリングで乱気流によるタンブルで壊れることもあり、耐空性の面でエアロバティックと変わらないのではないか、という議論もあります。

しかし、運用限界を理解し、その耐空性試験との関係を理解していれば、違いは明らかです。規定の運用限界を守ってソアリング飛行するのは十分に可能ですが、エアロバティックでは簡単に通常の運用限界を超えてしまう可能性があるからです。

また、構造や安定性の問題以外に、操縦の問題があります。エアロバティックに用いられる飛行機は背面や負荷重でも操縦能力を保って飛行できますが、パイロットが吊り下がっているハンググライダーはそのようにできていません。

設計や工学技術の面から見れば、現行のハンググライダーでエアロバティックを行うのは、それに合わせて設計、試験された運用範囲をはるかに逸脱した、純粋に実験的な飛行形態であるとしか考えられません。

 

エアロバティックに対するウイルスウイング社の姿勢

ウイルスウイング社では、個々のパイロットの判断力こそパイロットの安全にとって重要であり、また個々に判断する権利を尊重することがフライトする権利を尊重することになると考えています。ウイルスウイング社は、ハンググライダーのエアロバティックについては推奨しませんし、ハンググライダーのエアロバティックが「通常の」「許容される」使用法であるという考えも支持しませんが、先に述べたとおり、エアロバティックを規制したり禁止するという方法は避け、それよりも教育が大切と考えています。ハンググライダーがエアロバティックには適していないこと、ハンググライダーでのエアロバティックにはとても大きなリスクがあることをしっかりと理解してください。

なお、ウイルスウイング社ではメーカーの務めとして通常の運用限界を超えた試験を行わなければならないと考えています。起こりうるすべての状況を試験できるわけではありませんが、合理的で現実的な範囲で通常の運用限界を超えた飛行範囲をできる限り探求しています。

 

 

HGMA(ハンググライダー製造者協会)

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Wiilswingのマイク・マイヤーが会長を務めるHGMA認定は、アメリカのUSHPA (合衆国ハンググライディング&パラグライディング協会)、イギリスのBHPA (英国ハンググライディング&パラグライディング協会)、HGFA (豪州ハンググライディング連盟) が受け入れています。また、現行のFAR (アメリカ連邦航空規則)ではハンググライダーの航空機認定は求められていませんが、アメリカ政府のFAA (連邦航空局)も HGMAプログラムを認めています。

HGMAとは

HGMA(Hang Glider Manufacturers Association)とは、ハンググライダーの耐空性試験に関する基準一式を管理運営する、ハンググライダー製造者の国際団体です。

HGMAの始まりは1973年12月に、ハンググライダー製造者の一団がカリフォルニアのウエストチェスターに集まって工業協会の設立とハンググライダーの製作基準の策定について話し合ったことにさかのぼります。当初、そのような基準の策定と運営を行おうといういくつかの試みはうまくいきませんでしたが、最後には、しっかりした製造者協会が成立し、軽飛行機を認定に関するFAA(アメリカ連邦航空局)基準に基づいたハンググライダーの有意義な設計と試験の基準が策定されました。

今日、HGMAは、ハンググライダーでは何が耐空性の証明となるかの現代の業界における定義を形成する、高度に進化した一連の基準を管理運営する国際組織です。

ハンググライダーがHGMA基準に合致し認定を受けることができると証明するために、HGMA基準の試験において実際に要求されるのは、どういう内容でしょうか。

試験は、飛行試験と車載試験の2種類があります。飛行試験では、安定性、操縦性、性能をチェックします。車載試験では、安定性、特に通常の飛行域を超過した条件での安定性、そして構造強度をチェックします。

 

飛行試験(収録した証拠ビデオにより各テストが証明される。)

1) 離陸
以下のいずれかの条件で弱風下での緩斜面での離陸と滑空飛行に成功すること。
a) 5mph(8.1km/h)以下の風で5対1以下の緩斜面
b)6mph(9.7km/h)以下の風で6対1以下の緩斜面
c)7mph(11.3km/h)以下の風で7対1以下の緩斜面

2) 離陸
通常のソアリング条件での離陸飛行に成功すること。

3) 一般的な運動
滑空、ダイブ、旋回、スリップ、失速、一つの飛行モードから他の飛行モードへのスムーズな移行など一般的な飛行運動と最低1分間のサーマリング飛行あるいは安定していない大気中での飛行。

4)スパイラル インスタビリティー
15度から20度のバンク角で両方向へそれぞれ旋回し続けて、顕著なスパイラル インスタビリティー(食い込み)がないこと。(パイロットはコントロールバーの真ん中に位置するか真ん中にぶら下がっていること)

5)旋回中の失速
バンク角30度の旋回中に、1秒間に1mph(1.6km/h)の割合で減速していって失速させるか、フル ノーズアップの操作限界に達することで失速をチェック。通常の飛行への回復が示されなければならず、このときに過度の高度損失、制御不能のロール特性、制御不能のスピン傾向があってはならない。

6)直線水平飛行での失速
1秒間に1mph(1.6km/h)の割合で減速していって機体の制御不能な下方へのピッチング回転によって証明される失速の発生あるいは、フル ノーズアップの操作限界に達することで、水平失速からの失速をチェック。これらの操作と通常飛行への回復を通じて、通常の操縦によって15度以上のロールあるいはヨーの回転を停止させることが可能でなければならず、また、機体がスピンする制御不能な傾向があってはならない。

7)スピンあるいはスピンの試行
地上からの撮影で、パイロットが機体をスピンさせようと真剣に操作を試みていることを示さなければならない。

その機体が「特性上スピンは不可能」と指定されている場合、確実なスピンの試行によって適切に証明されなければならない。

あるいは、その機体がX度の回転のスピンにおいて、その半分以下の余計な回転で、しかも制限飛行速度あるいは制限正荷重倍数を超過することなくいかなる場合でも360度以内の余計な回転で、回復することが示されなければならない。

8)ロール操作
バンク角45度の連続コーディネイト ターンの切り替えしに要する時間は、以下の等式で計算される値を超えてはならない。

要求される時間 = 4秒 x (最小パイロット重量 / テストパイロット重量)

この項目に適合するためには、最小推奨パイロット重量の1~1.5倍のパイロット重量によって確認されなければならない。地上からの撮影によって以下の手順が示されなければならない。

カメラから機体を見る画が水平線から上方45度を超えないようにして、機体がカメラから飛び去って行くこと。パイロットは45度バンクの360度コーディネイトターンを1回行い、カメラに向かったときに切り返しを行い、反対方向への45度バンクの360度ターンを行った後、さらにもう一度カメラに向かったときに切り返す。

バンク角が適切に判定できるように、設定された飛行方向から十分に小さなズレで切り返しが開始されなければならない。

この操作中に機体が危険なスキッド(外滑り)特性を示してはならない。

9)急ダイブ
パイロットは、キールあるいは適切な指標箇所が水平線に対して75度以上の角度となるダイブ操作を行わなければならない。このダイブは、撮影の必要はないが、飛行操作から開始され、到達した飛行速度を観測、記録し報告に記載されなければならない。、

10)滑空性能
機体の滑空比は5対1以上でなければならない。この証明は特に必要とはされないが、これを証明する撮影を行う場合は、要求される性能水準を十分に示すものであるとする。

11)着陸
地上からの撮影によって、安全で制御された、旋回を伴う高度処理と特殊な技術を用いない着陸を示さなければならない。パイロットの操縦操作がわかるように、パイロットの画像は十分に大きく鮮明でなければならない。

12)ピッチ操作応答、最大定常速度、ピッチ静安定、トリムへの回復(機載カメラによる撮影)
a) パイロットは、失速速度の1.1倍の速度から、失速速度の1.5倍の速度あるいは30mph(48km/h)のいずれか速い方まで、4秒以内に加速しなければならない。

b) パイロットは、最低でも以下の最大定常速度に到達して維持する能力を実証しなければならない。

35mph(56km/h)x 平方根(テストパイロット重量 / 最小パイロット重量)

c) 機体が超過禁止速度の120%以下あるいは終極速度以下の最大定常最高速度を持つ場合、最大荷重時の最大定常速度( Vdmax )を確認し記録しなければならない。

Vdmax(最大定常速度)= Vdobserved(確認された最大定常速度)x平方根(最大パイロット重量 / テストパイロット重量)

d)  機載カメラによる撮影で、通常の運用速度域において機体が正のピッチ安定を有することを示さなければならない。すなわち、一定のトリム速度を有し、トリム以上の速度を達成、維持ためにはパイロットが引き続ける(機体が押し返し続けてくる)プレッシャーが必要となる、また、トリム以下の速度を達成、維持ためにはパイロットが出し続ける(機体が押し返し続けてくる)プレッシャーが必要となる、そしてこの操作力を緩めたときに機体がトリム速度+/―10%にもどる、ということである。

以下の操作が撮影されなければならない。カメラはコントロールバーに乗るパイロットの手と飛行速度計を同時に示さなければならない。対気速度計は容易に読み取れなければならない。

パイロットは手を放し、機体がトリム速度となるようにする。開いた手をベースバーの後ろ(上ではなく)に当て、ベースバーに対して前に押す力だけが伝わるようにし、ベースバーを押し出していってトリム以下の速度となるようにする。パイロットはこの速度を3秒維持したのち、バーへのプレッシャーを緩め、機体がトリム速度へ戻るようにする。

同様に、開いた手をベースバーの前に当てて、トリム以上の速度を3秒維持してから手を緩めてトリムに戻す、これを最大定常速度についても行う。トリム以上のいかなる速度においても、バーが押し返してくるプレッシャーが負あるいは中立となってはならない。

 

車載試験(荷重測定)

「典型的な」運動速度46mph(74km/h)で超過禁止速度53mph(85㎞/h)の機体では、以下の荷重試験が必要となる。機体は破壊することなく3秒間、必要な速度を維持しなければならない。

正荷重試験:最大揚力迎え角において65mph(105㎞/h)

負荷重試験:マイナス30度の迎え角において46mph(74km/h)

150度負荷重試験:マイナス150度の迎え角(迎え角30度で後ろ向きに置いた姿勢)において32mph(51㎞/h)

超過禁止速度を上回る運動ではより高い速度での試験が必要となる。機体によっては、典型的な超過禁止速度53mph(85㎞/h)を維持することはできないため、わずかに下回る速度での試験が許される。

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車載試験(ピッチモーメント測定)

機体のピッチモーメント試験をパイロットの繋止点(スイングラインの取り付け位置)あるいは他の適切な指標箇所によって、以下の速度と角度で行わなければならない。

1)ゼロ揚力角からプラス30度、マイナス25度において20mph(32㎞/h)

2)ゼロ揚力角からプラス25度、マイナス15度において37mph(60㎞/h)

3)ゼロ揚力角からプラス10度、マイナス5度において53mph(85㎞/h)

車載ピッチモーメント試験は、2つの直行する合力要素(揚力と効力)とピッチモーメント要素、対気速度、迎え角をそれぞれの測定サイクルから、最低、毎秒2完遂サイクルの測定速度において記録する「3軸」電子試験車両を用いて行わなければならない。ピッチ試験データは、2度以内の隣接変化の滑らかな角度変化を示しているものでなければならない。

ピッチモーメント係数と迎え角のグラフは、測定された各力を必要とされる3つの速度において示したものでなければならない。

この3つの速度において、ゼロ揚力を中心にした迎え角(横軸)に対してグラフに示されたピッチモーメント係数(縦軸)は、以下のグラフに記述し示された範囲に含まれてはならない。

ピッチモーメント・グラフ
(解説と補足)

ピッチモーメントの重要性は、例えばダイブからの回復する頭上げのモーメントが一定以上(図の斜線部分以上)求められるという事です。ダイバージェントと呼ばれる特性は、このモーメントがゼロ又はマイナスの状態を指し、ストールからダイブに移行する延長でのタンブリングの危険性に繋がるものです。テストパイロットが実施するマヌーバーテストは、この車載でのピッチテストの裏付けがあって出来うるものです。

正荷重での基準は、ループのようなマヌーバーで想定される6G以上に耐えるのに値するものです。また強度上で最も重要で厳しいネガティブ150度の荷重テストは、タンブリングに入ったような状況を想定したものです。基準値は通常のフライトで起こりうるものに対して一定のマージンを想定するものです。認定のない機体が過去に空中破壊した事のない事で、これらのテストを不要とする意見は、航空機の常識から外れたものと言わざるをえないでしょう。

 

Rob’s page

1140x480_Rob-1140x400Robert T. Kells, Jr. 
September 7, 1955 – August 9, 2008

ロブ ケルズは2年近くにおよぶ前立腺がんとの闘病ののち、2008年8月9日この世を去りました。ロブは30年以上にわたって我々の友人であり、ウイルスウイング社におけるビジネスパートナーでした。

ロブがハンググライダーを初めて体験したのは1973年の夏、16フィートのスタンダードロガロ機でスキー場の斜面をグランドスキミングしたときのことです。すでにセールプレーンで飛んでいたロブにとって、スタンダードロガロ機の性能レベルはあまり興味を引くものではなく、その後数年、ハンググライダーからは遠ざかっていました。1976年の夏、友人がウイルスウイング社のSSTで長時間のソアリングをしたのを見て、これだけ飛べるようになったのなら、今度こそやってみようと思ったようです。

1977年の春、ロブは友人4人とキャンピングカーの屋根にハンググライダーを積んで南カリフォルニアまで旅をし、ウイルスウイング社に行きました。当時のウイルスウイング社はまったく統制がとれておらず、ロブとその友人達は営業マンとして全米を旅しながらエアショーで飛ぶと言う計画を変更して、まずウイルスウイング社の組織立て直しに協力することとしますが、短期間のうちに4人の友人は去り、ロブだけが残りました。

1977年6月24日、ウイルス家を悲劇が襲います。エスケープカントリーでジープのコマーシャルのために飛んでいたボブ ウイルスが事故死したのです。ボブは常にこの会社の中心だったので、ウイルスウイング社の存続が真剣に危ぶまれました。

この苦難のときにロブは積極的にマネージメント業務に邁進していきます。彼に奮い立たされた従業員達は給金支払いの見込みなしに働き、会社が生き残るべく努力していくことをウイルス家も認めてくれました。ロブはさらに頑張り、新たに創設されたHGMAの試験基準による当時のウイルスウイング生産モデルのXCとSSTの認定も通しました。そののち、ロブは各地のディーラーを回って会社への信用を修復していきます。それからの年月、ロブは、ハンググライディング スポーツのさらなる安全とプロフェッショナリズムの向上のために、現場のディーラーやインストラクターを支援するというウイルスウイング社のポリシーを確立させていったのです。

ロブはウイルス家との交渉で、会社の主要株を現場経営陣に売却してもらい、そのことで会社の存続・成長による彼ら自身の配当も確実なものとしました。

それ以来、ロブはハンググライダー界においてウイルスウイング社を最も代表する人物としてみなされてきましたが、彼自身はいつもそのビジネスパートナーや会社の従業員による大きな貢献を口にしています。

ロブは、彼に出会った全てのパイロットにとって友人であり、彼のハンググライディング スポーツに対する功績はどんなに評価しても、決して評価し過ぎることはありません。その死は彼を知る全ての者にとって惜しまれるものです。

 ロブの航空経歴

 1973年よりハンググライダーパイロット

-合衆国ハンググライディング協会マスター技能証

2100時間

5000本

タンデム ハンググライダー インストラクター - 200本

 1977年より ウイルスウイング社の生産および開発テストパイロット

 1986年より パラグライダーパイロット

 体重移動式超軽量機パイロット - 70時間

固定翼超軽量機パイロット - 200時間

 FAA自家用パイロット

     陸上および水上単発飛行機

     陸上多発飛行機

     計器飛行

     滑空機曳航

        総飛行時間 1700時間

 1978年よりウイルスウイング社 営業代表

 

 競技会成績

 USチーム代表メンバー - FAI ハンググライディング 世界選手権大会 - 1985年

 主な競技会優勝歴

グラウス マウンテン 選手権大会 1980年 および 1986年

第1回ワールド スピード グライディング選手権大会 - テルユーライド 1997年

チャタヌガ グレート レース - 1984年

モーニングサイド グライディング アングル コンテスト - 1994年 および 1997年

シェラン クラシック

テルユーライド エアロバティック 選手権大会

 

専門団体

合衆国ハンググライディング協会理事会メンバー(名誉理事) - 1980年 より 1998年

 スカイスポーツ表彰

合衆国ハンググライディング協会長賞 - 1998年

レイブン勲章 - グランドファーザー マウンテン

ロガロ財団 栄誉の殿堂 - 2007年5月20日

追悼メッセージ

世界中から寄せられたメッセージ集

 

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